「何かを作りたい」が無い

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 プログラミングは覚えてしまったら先が無い。どうやれば実現できるかという事を志向してきたのが、既に実現されてしまっている事が多すぎて自らの行動に価値を付加できない事に思い悩む。すなわち、それは時間の無駄だと思っているのだ。
 かといって、終わりの無い事もこれはこれでつらい。追求し続ける事、探求し続ける事、維持し続ける事、これが息苦しく感じる事もある。
 つまらない行動をするか、息苦しい行動をするか、二者択一の世界にいると感じてしまうのが気が重くなる。逃げ道は無いのだ。

 
 プログラムを書いて自分の思い通り動く事がとても空しいのだ。思い通りに動くまで調べる事、コーディングする事、デバックする事、これらがすべて終了した後に思い通りに動く事になるのだが、それがとても空しいのだ。既に実現されてしまっている事だと感じているからだ。世界のどこかで既に誰かが考えてより良いポリシーを元に組まれたコードが存在する事が本当に多い。自分自身でプログラムを書く意義も価値も失せていく。


 実装がエレガントなのは良い事だ。しかし、それ以上にエレガントな実装が頭の中に存在する。たまたまプログラム言語の制約上、仕方なく、そのプログラム言語に書き下しているに過ぎないのだ。これが空しい。利用規約やライセンス、言語的制約に縛られるプログラムコード。それより上位のすべての問題が解決するプログラムを書き下せる何かが必要なのだ。
考えられうる全ての問題とは

  • 再利用性(何ビットの変数だろう、指定すれば動く AVL木のキーの部分の変数は何ビットでも可能、AVL木の比較関数は入れ替え可能など)
  • バグを入れられない構造(コーディングのケアレスミスで極力バグが入らないようにコーディングできるような。Haskellのような)
  • 状態遷移を視覚化しデバック中にわかりやすくできるような


頭の中でまとまらないので一時保留(という事を幾度と無く行ってきたが今回もそうである。)


 ライブラリ製作は憂鬱だ。より良いポリシーを持ったプログラムが世界のどこかに存在するはずなのに自身のPCでそれを実現させるためにまた世界のどこかに存在しているものを結果的にコピーしている事になる。
ライブラリ製作は世界の有能なコンピューター科学者の成果と自身のPC上で実現したい事を繋ぐアダプターを製作する事だ。
このアダプター製作を止めさせられる事ができるようにする事が今後の研究課題といったところである。