DKFSMでするべき事

.NET Framework等の共通言語基盤によってプログラム言語から生成される実行コードの差異は事実上なくなった。
これによりプログラム言語はただの状態遷移の表現でしかない。
よってプログラム言語にこだわる事はただの嗜好となる。


私はこの嗜好が許せないのである。
すべての環境で.NET Frameworkが使えるわけではないのである。
よって非対応の環境に対してその状態遷移の表現を別の言語で書き下したりする事自体が許せないのである。
CLIはVirtual Machine上でプログラムが動くようにしてプログラムの移植に関する解決を図ったのだろうが、
それはこの恩恵を受けるためには暗黙的にCLIに従えと言う事なのだ。


これが嫌なのである。
さらには未だにテキストエディタでプログラム言語によってプログラムを書くという軛から解放されていないではないか。
この軛が職人的でありプログラマーの誇りであるとも感じるが、これが一種のプログラムを組む際の支障になっているのではないかと感じているのだ。


私は嗜好に甘んじない。状態遷移の本質は常に一つなのだから。
この本質を表現するテキストのみに依存しない表現が必要なのだ。
この表現とプログラム言語を双方向に変換できるようにする事がDKFSM Projectの意義である。